こんにちは。
お仕事に復帰してから順調に進んでいます。
かなり無理のないスローペースですが、
無理にスピード上げ過ぎて再び倒れるよりはマシだろう。と、急ぎ過ぎず、目の前にあるお仕事を確実にこなしています。
やる事があるって素晴らしい!
今回は、普通とは。と私なりに考えたことを書いていきます。
ほぼ自己満ですし、振り返り用のメモのようなものですが、ちゃんと記しておきたいのです。
お仕事に復帰して、少な目ではあるけれど、仕事をすることによって
良くも悪くも、色々と考える時間、SNSの時間が少なくなりました。
深く考える時間はないけれど、余計なことは考えずにすむ。
だらだらと情報収集と言う名のSNSは見なくてもすむ。
何より、仕事を通してまた社会と繋がりを持つという責任感が戻ってきました。
(苦しいものではなく、適度な責任感です。)
やっぱり、
休憩は必要だったけれど、休憩時間が長すぎるのは良くない。
と言う結果に。
片足の更に半分程度ではあるけれど、在宅で復職してみて思ったこと。
普通っていうのも結構いいんじゃない?
って事。
何かと人と違う事、普通じゃない事。と目指しがちな人も多いかと思うけれど、
普通って定義は結構あいまい。
育ってきた環境、今いる社会的立場によって、人それぞれ普通の定義は違う。
データ的な中央値が普通とするのであればそれもよしだけれど、
一番下から一番上まで、そのアンバランスな偏りを含めた中央値ってそもそも普通なのかが分からない。
中央値はあくまでも中央値であって、世間一般の普通ではないのだよ。
と私は思う。
私が思うに世間一般の普通って、
一億総中流の時代の普通の感覚をベースに、それが現代版にちょっと進化したようなものだと思っている。
もちろんは今は一億総中流ではないので、この何となく作られた普通と言うものが当てはまる人々がどのくらいいるのか?わかりません。
時代によりテクノロジーが進化していい意味で当てはまらないものもあれば、
衰退して悪い意味で当てはまらないものもあるでしょう。
結局、その作られた普通なんて一つの目安にしかすぎず、
今の自分の身の丈に合った事柄が、自分の中での普通。なのではないか。
そう思うのです。
そう思うと、普通もなかなか悪くない。
普通じゃない。人と違う。に憧れる時期ももちろんあるけれど、
それは単に一時的に刺激が欲しいだけの時が多いような気がします。
まずは、与えられた環境で精いっぱい頑張ってみてはいいのではないかい?
寧ろ、与えられた環境で精いっぱい頑張ることが出来るならば、自然と”普通”のレベルアップがされているのではないのかと。
そして次のやるべきことがポンっと出てくるのではないかと思います。
夢を見るな。夢を見るのを諦めた。と言っているのではなく、
普通じゃない。人と違う。に憧れるのもいいと思うし、夢を見るのも素晴らしい。
けれども、途中をすっとばして、通るべき何かを放棄してないかい?いう事です。
例えば山登りは走ったら危険!地味に一歩一歩。
ケーブルカーがある山もあるけれど、その課金するケーブルカー、本当に山頂まで行くんでしょうか?
人生には怪しい山も、山頂まで行くか分からない怪しいケーブルカー(課金)も沢山ありますよね...。
結局、すぐ手に入るものは、それなりのもの。であり、最終的に自分が欲しいもの。ではない。のだと思いました。
長く続く本物を手に入れる。という事は、結局のところ時間がかかるのです。
コツコツと地味なことなのです。
そこを見せてない人が多いだけで。
例えば、あるタレントさんの在り方や考え方、ファッション美容、、、いろいろなところが好きで、「その人みたいになりたいな。」と思ったとします。
在り方や考え方が一番好きなのに、目に見えるところでなおかつ簡単なファッションや髪型、使っている化粧品なんかを買って真似してみて、同じものを使っているだけで満足。
スタイルを維持するためのトレーニングや、食事に気をつけるなどの辛いことはやらない。考え方も本を読んだだけでインストールした気分で実行しない。
そうして手に入ったものは本物でしょうか?という事なのです。
おそらく、この時点では見た目と言っている事が何となく似ているね。(?)
程度だと思うのです。
結局、時間のかかる面倒なところもクリアしなければ、「なりたいな。と思い描いた私。」にはなれないのです。
それを知った上で、目の前にある面倒なこともコツコツとこなしていくのが、時間はかかるけれど最善な道なのかな。って思っています。
もちろん、その時にはさっきも書いたように、
今の自分の身の丈にあった普通。を否定せず、与えられた環境で精いっぱい頑張って、
徐々に”普通”のレベルアップをして行ければいいな。って思います。